目前に悩む患者に明日の医学の教科書がある

更新日:3月1日

たまたま出会った一文にハッとさせられることがあります。

意図してそこに訪問したわけではないのに、糸を手繰り寄せたら行きついた、出会いの不思議。

インターネットはそういう意味でも私の見聞をうんと広げてくれます。


ある医師の誤診に関する投稿からたどり着いた講話の書き起こし。

驚くほど機知に富んで心底惚れ惚れします。

(この講義の内容は書籍「最終講義」として出版されているそうです)

そのネット記事の中で、太字で強調してあった文がこちら。


書かれた医学は過去の医学であり、目前に悩む患者のなかに明日の医学の教科書の中身がある


この言葉、とても身が引き締まる言葉です。

沖中重雄教授(内科学者、東大名誉教授)による「内科臨床と剖検による批判」の章にあった内容だそうで、以下、記事に転載されていた部分をコピペします。

転載元リンク




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そういうふうないろいろなことを考えますと、診断というものがいかにむずかしいものであるか、こういうことを自分としては経験するほど、そのむずかしさを感じます。簡単にみえる症状の病気を診る場合でも、かえって診断に対して非常な恐怖心をいだき、むずかしいなにかがそこに潜んでいるかという心配をいたしますので、臨床というもののむずかしさをますます感じているというのが現状であります。

それにしても平凡なことですが、いつも正確な既往歴 Anamneseをとる、これをなんべんも読み返すことが大切です。それから、これは学生諸君にとくに申しあげるのでありますが、精細な臨床検査、ことに bed sideでの緻密な観察、検討というものをたえず怠ってはならないと思います。同一の患者を診る場合にも、毎日新しい患者を診る気持ちで観察していかなければなりません。

なにもむずかしい検査をいつもする必要はないのですが、少なくともそれに頼る前に、頭と目と手で簡単な検査道具を使って、よく患者を診ることがいつも大切です。

病理でやってもらえばわかるんだ、外科であけてもらえばわかるんだ、そういう安易な気持ちは、われわれ内科医としては夢にももってはいけないとわたくしは思います。あくまでも自分で考えて、それで診断をしていく。学生諸君に先輩として、わたくしはそういうことを申しあげるのであります。よく考える医師になっていただきたいのです。