
対立軸あるある
ある意見と真逆の意見があったとして、 「で、どっちにつくか?」という論調で話がすすむことがあります。 選択した答えが一致しないときには、「はーん、あなたはアンチなのね」と決めつけられるというわけですが、 実は、全く別の代替回答を頭の中に描いているのかもしれません。
たとえば、新型コロナの新薬やワクチンのスピード承認。
これが是か非か問うても、私たちは幸せになれないような気がします。
「よくわからないけど、薬をのむ(ワクチンを打つ)」
人もいれば
「よくわからないから、やめておく」
という人もいます。
つまることろ、議論すべきは「あるべき論」ではなくて
自分はどうしたいのか、という主体性。
それを、ブログなど(これもその一つです)で判断しようなんて責任の放棄もいいところだなと思うのです。
薬はそもそも、作用と副作用が必ずあります。
両者を天秤にかけて自分にとって都合の良いものを選べばいいだけのこと。
その責任は決断した自身がとればよい、それだけのことです。
ただし、子どもの健康は親の判断にゆだねられています。
生涯そのからだに向き合わねばならないのはのは子供自身ですが、誤解を恐れずに直球ストレートで言うならば、被害者としての位置づけにもなりかねません。
話を元にのコロナに戻すと、
前提として、夢の特効薬もワクチンもなく長期化すると仮定したうえで、自分は何をしたらいいのか? これを考えることが一番有益で前向きな思考回路ではないでしょうか??
もちろん、情報を得ることは大事なこと。
ただし、この情報とて所詮他人の口から出たもの出あって正しい情報とは限りません。
それをふまえて情報は収集するべきだし判断しなくちゃいけませんよね。
だとすると、やっぱり自分で調べて納得するしかない。。。
他人の意見は木の葉のささやき程度だろうなと思うのです。

そして、だからこそわたしはホメオパシーを学びつづけるのですが、フフフー
これはあくまでも私にとって、最善でゆるぎのない前向きな策なのです^^