ホメオパシー療法は、1796年にドイツ人医師、Drクリスチャン・フリードリヒ・サミュエル・ハーネマンによって、これまでとはまったくことなる新しい医学体系として確立されたものです。

 

「似たものが似たものを治す」という意味の、「Similia Similibus Curentur」という原理をベースにしており、病気を引き起こすある物質の力は、類似の現象を示しながら、病気の治癒に利用できることを意味しています。

ホメオパシーでは、健康とは、心身の調和状態を維持しようとする機能的な作用であると考え、症状とは、感染症やストレスから身を守ろうとする身体の最大限の努力であるとしています。

 

このため、症状を抑圧・抑制するのではなく、むしろこのような防御プロセスの模倣を促進する物質を利用し、自身に備わる自己治癒力や自己調整力を有効活用し、最適な状態に導くことを目的とします。

ホメオパシーとは

ホメオパシーの歴史

18世紀にヨーロッパで発祥した「同種療法」

ホメオパシー医学が発展したのは今から約250年前。当時、ヨーロッパで当たり前に行われていた治療は、瀉血(しゃけつ)と呼ばれる、静脈にナイフを入れ500mlほど血を出血させ、これを繰り返す方法でした。

あらゆる症状の原因は悪い血液から生じているというのが、当時の基本的な考え方でした。この、汚れた血を除く瀉血に加えて、水銀(塩化第一水銀)を大量に与えて腸のデトックスを促したり、吐酒石(アンチモン塩)を大量に与える嘔吐療法なども当たり前の治療だったのです。

1750年~1850年にかけて、このような想像を絶する荒療法によって多くの患者さんが治療によって命を失っていました。

ドイツ人医師ハーネマンは、このような医学的治療に不満を持っており、科学文献や化学実験の翻訳を行っていました。1790年、カレンのマテリアメディカ(医薬品辞典)を英語からドイツ語に翻訳しているときに、彼はマラリアの治療薬として用いられていたキナの皮(薬草)を自分自身に実験しました。そして彼は、健康な状態でキナの皮を取ると、マラリアと似たような症状が起こることを発見したのです。

そして彼は1796年、「類は類を治す」という<類似の法則>という新しい法則を発表し、これを「ホメオパシー」と名付けました。

※ホメオパシーとは、ギリシア語で「似た」を意味する「Homoios」と、「苦しみ」を意味する「Pathos」からとり、「Homoeopathy=ホメオパシー」と名付けました。また、当時一般的だった医療体系(=薬物療法)に対しては「Allopathy=アロパシー」(ギリシア語の「Allos」は「異なる」を意味する)という造語を作り出しました。

 

ハーネマンは生涯をこのような薬物実験に費やしました。自分自身のからだで実験し、自ら体験してえられた膨大なデータを確信をもって記録していったのです。

自己実験こそが薬の効果を理解する最良の方法だと考えたのです。

19世紀、ヨーロッパからアメリカ大陸へ

●19世紀初頭、ヨーロッパ諸国への普及

 

ハーネマンが新しい治療法としてホメオパシーを発表したのち、この成功率は失敗率をはるかにしのぐものでした。ひとり、ふたり、10人、100人と、薬物療法を捨ててハーネマンの教えに従う医師がヨーロッパ中に増え始めました。オーストリア、ハンガリー、イタリア、デンマーク、イギリス、フランス、スペイン、ベルギーで繁栄し、ドイツではミュンヘン、ベルリンをはじめ多くの都市でホメオパシー病院が設立されました。

 

●19世紀後半、アメリカ大陸でさらに発展

ホメオパシーを行う医師がはじめてアメリカに渡ったのが1828年。その8年後にはフィラデルフィアに「ハーネマン医科大学」が創設されました。(右画像)

1844年にはアメリカ合衆国で最初の国立医療機関であるアメリカ・ホメオパシー研究所(Amelican Institute Of Homeopathy)や全国的な医学団体のアメリカ・ホメオパシー医学協会が設立され、名実ともに主流医学としての座を確立しました。

当時流行していたしょうこう熱、腸チフス、コレラ、黄熱病の治療に成功したため、ホメオパシーの認知はますます高まりました。ホメオパシー病院におけるこれら流行病の死亡率は、現代医学病院よりも50%~80%低かったという統計があります。

20世紀の初めには、ボストン大学、ミシガン大学、ニューヨーク医科大学、オハイヨ州立大学、ミネソタ大学、アイオワ大学など、ホメオパシーの医学部や医学校は全米に22か所もありました。

●世界各地でホメオパシーの記念切手を販売

 

科学の発展に貢献した医師や研究者の記念として、記念切手も数多く発行されました。

当時のホメオパシー療法がどれほど庶民の暮らしに浸透していたかがうかがえますね。

1954年ブラジル 第1回世界会議 

1955年ドイツの切手 ハーネマン

1977年インド国際会議 

1990年モナコの切手 ハーネマン

19世紀、インドへ普及し世界各地へ

19世紀にはいると、イギリス人がインドにホメオパシーを持ち込み多数のドイツ系移民もホメオパシーの普及に寄与しました。インドの政治的指導者であり独立運動に貢献したガンジーがホメオパシーを推奨した流れを受けて、インド政府は、ホメオパシーを伝統医学と位置づけ研究や教育活動に熱心に取り組んでいます。インドには現在、5年制のホメオパシー医科大学が187校あります。

ホメオパシー発祥の地であるヨーロッパには、ホメオパシーの関連施設がいくつか設立されています。ホメオパシー療法の歴史に興味がある方はぜひ足をお運びください。

パリにある、ハーネマンのお墓

​多くの人々が献花に訪れます

ロンドン・ホメオパシック・ホスピタル

ROYAL LONDON HOMOEOPATHIC HOSPITAL

ホメオパシーだけでなく臨床瞑想や食事療法、現代医学などを行う病院として、Royal London Hospital for Integrated Medicine (王立統合医療病院)へと名称が変わりました。かつては建物正面の看板はROYAL LONDON HOMOEOPATHIC HOSPITALでした。

アメリカの首都にあるハーネマン記念碑

ワシントンDCにある記念碑の中でただ一つ医師を称えて建てられたもの

 

世界のホメオパシー

250年の歴史を経て今もなお信頼されるホメオパシー。従来の医薬品には30年以上使われ続けているものがほんの一握りしかない中で、ホメオパシーは何世代にもわたり変わらぬ原理で人々に支持され続けています。

 

現在、ホメオパシー療法は世界80か国以上で使用されています。そのうち42か国においては、独自の医学体系として法的に認められており、28か国で補完代替医療の一つとして認識されています。

ヨーロッパ人の4人のうち3人はホメオパシーについて知っており、そのうちの約30%は自身の健康ケアに使用しています。

インドで行われた調査によると、現在ホメオパシーユーザーの82%は救急時以外は現代医学に切り替えるつもりはないという結果でした。

 

ホメオパシー療法を医療として位置付けるか否かは国によって異なります。中米及び南米諸国(ブラジル、チリ、コロンビア、コスタリア、キューバ、エクアドル、メキシコ)ヨーロッパ諸国(ベルギー、ブルガリア、ドイツ、ハンガリー、リトアニア、ポルトガル、ルーマニア、ロシア、スペイン、イギリス)アジア諸国(インド、ネパール、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ)では正式に認められています。

ブラジル、インド、パキスタン、スリランカ、メキシコ、バングラデシュ、イギリスでは、主流医療に統合されています。

ホメオパシー

健康相談

  • ​さまざまな健康問題に対応

  • 赤ちゃんも妊婦さんも、動物にも安心して使える

  • 使うのは直径3ミリ弱の小さなキャンディと薬草液

  • 原料の大半は自然界にある物質

  • 原料を極端に薄めているので副作用の心配がない